雲の上はいつも青空

 いつになくポエミーなタイトルになってしまったが元ネタはごぞんじハービー山口大先生のフォトエッセイである。更に元を辿るとLouisa May Alcottの"There is always light behind the clouds."直訳で「雲の向こう側にはいつも光がある」みたいな感じか。

 

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 久しぶりにブログを書こうと思ってはてなを開いてみたはいいが、しっかりとブログの体で公開してあったのは過去の龍鼓灘の記事だけであった。下書きはいっぱいあるんだけども裏取りが面倒なネタばかりで結局放置してしまっている。主に香港関連のネタが多いんだが。そんな香港も今ではすっかり遠い国になってしまった。嗚呼。一昔前までは"書く"ブログと言えばはてなであったが、気がつけばブログと言えばnoteがメインになってしまっていた。2,3年で世界は驚くほどガラッと変わってしまう。本当に。一寸先は闇である。

 そんなこんなで冒頭のタイトルである。先月末頃、12年ぶりに西表島へ行ってきた。まさにタイトルのような日和だった。

 

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 西表島。このワードを聞いて大抵の人が思い浮かべるのはイリオモテヤマネコだろう。沖縄の方にある島…ジャングル…マングローブ…東洋のガラパゴスあずまんが大王…。

 せっかくの機会なのでここで一度地図アプリでも開いて西表島の位置を確認して頂きたい。地図は良いぞ。想像力が掻き立てられる。とりあえずここかなという辺りを探そうとするときっと最初は沖縄本島周辺を探そうとするはずである。本島周辺を見た後、そこから西に進むと大きめの島が2つ存在しているのが確認できるはずだ。割と西だ。東側にある大きな島が石垣島。そして西側が今回の話のネタとなる西表島だ。西表島、というと上述したワードのようにどこか辺境の地というイメージが付きまとうが、意外と石垣島から近くまた島自体が大きいことがよく分かる。wikipediaによると人口は2,407人(2020年3月末現在)であるが、島自体の面積は沖縄県の中では沖縄本島に次ぐ大きさである。石垣島西表島等が所属する島々を八重山諸島と呼び、経済、移動等の中心地は石垣島であるにも関わらずそれ以上にデカいのが西表島なのである。加えて地図をなぞり更に西進するとすぐそばに大きな島が見つかるかと思う。そう、もうそこは台湾なのだ。八重山諸島から沖縄本島までの距離は約400km。対して台湾までの距離は約270km。紛れもない辺境である。日本の端っこだ。ちなみに日本最南端の有人島波照間島や最西端の与那国島も同じ八重山諸島に属する島である。

 

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 初めて西表島に行ったのは小学校低学年の頃だったらしい。らしい、というのは自分でもその時の記憶がほとんどない上に、当時テレビで放送されていた自然系の番組の企画旅行で訪れた為基本的にされるがまま、連れられるがままの旅行だったからのようだ。(具体的には福島空港開港記念か何かにかこつけたどうぶつ奇想天外関連のツアーだったような)

 それから時間が経ち、これまた自分でもなんでそうなったのかやはりほとんど記憶にないのだが、大学1年生頃、友人とどこか旅行に行こうという話になった時に何故か白羽の矢が立ったのが西表島だったのであった。当時の私は既に道楽のトップウォータースタイルでのバス釣りにハマっていたので、それの関連雑誌か何かで津波ルアーズの元木さんがマングローブで釣りをしている記事を読んだからだったのかもしれない。ちなみにその時の同行者は釣りに全く興味がなかった。ボートからのリーフフィッシングならいざ知らず、キャスティングもマトモにできない友人をタイトなキャストが要求されるマングローブフィッシングに連れていってしまったのは本当に今でも申し訳ないと思っている。自分だったらクレームものだ。幸運なことにその時は私も友人もそこそこ楽しい釣りができ、西表島旅行は良い記憶となって自分の心の中に刻まれたのであった。

 その後、関西で相変わらず釣れない釣りに励んでいた私であったが、ある時、どうも西表島というのはリーフフィッシングがそれはそれは面白いらしい、なんならみんな大好きGTことロウニンアジのメッカらしい、というようなことを小耳に挟んだ。当時はもちろんネットカルチャーなんだけどもyoutubeが覇権を握る以前の段階だった為まだまだ能動的な情報収集をしないと手に入らないような情報が多かった時代でもあった。ちなみにこの頃の私はまだ琵琶湖での釣りにハマる以前である。東播の野池や加古川、淀川等に良く通っていたのを覚えている。本当に釣れなかった。悲しい程に釣れなかった。加えて当時の自宅から海が近かったので食材確保の為に海釣りにも精を出していたこともあり体良くシーバスタックルが揃っており、1年遅れで高校時代の釣りをする友人が関西に進学 してきたといった事情もあり再び西表島へ行くことになったのである。釣れない釣りはもう嫌だ、あそこはきっとパラダイスだ。そんな豊穣の海を夢見てオーパよろしく釣りバカ2人がのこのこと出かけていった。

 釣りというのは不思議な趣味で、行為自体は魚の口にハリを引っ掛けた上散々引きずり回すという非常にサディスティックな内容であるにも関わらず、大多数の釣り人の精神構造はマゾヒストなのだ。魚もアホではないのでそう簡単には釣れない。釣れて楽しい時間よりも恐らくは釣れない時間の方が長い。なんでそんな釣れもしないのに多大なる時間とお金をかけて釣りをするのか、と聞かれると大抵の釣り人は虚ろな目をしてこれがいいんだ、これが釣りなんだ等と意味不明な言動をのたまうことだろう。きっと。多分。釣りとは糸の先にハリが付いておりもう一方にバカが付いた状態なのである。

 開高健御大の本で読みかじったものだが、"釣り人の時制に現在形はない"という大変良くできた言い回しがある。マゾの釣り人だって本質的には釣りたいのだ。だから明日の釣果を夢見て場所を調べ時期を調べそこに自分の曖昧模糊とした経験を加え希望の未来を頭に描きながら眠い目を擦りここぞとばかりに釣りへと出かける。が、多くの場合結果は芳しくない。そこで聞かれるのは「先週までは良かったんだけども…」「ちょっと時期が早すぎた…」等と言ったものがほとんど。現在進行系で豊穣を味わえる釣り人というのは果たして…という具合で、これは言ってしまえば釣り人あるあるなのである。あるあるどころかあるあるあるあるネタと言っても申し分ない。鉄板だ。メタルバイブだ。なのでこの展開でいくと、しっかりと前回より道具も時間も揃えての遠征となる釣りバカ2人の西表島釣行は、心の奥底にほろ苦くも清冽な思い出となって残り、2人はリベンジを誓う、ここまでがテンプレなのである。しかし、西表島には豊穣が存在していた。2人は現在進行系を味わうことができたのだ。結果は爆釣であった。

 ルアーとは疑似餌だ。要は非餌を餌に見立てて魚を釣るのがルアー釣りである。もちろん魚は疑似餌よりは本物の餌を好む。しかしこのルアー釣りは人気が高い。何故か。楽しいからである。1800年代半ばにアメリカ人が湖にスプーンだかフォークだかを落っことし、またヘドンさんが1894年に木片を湖に投げ込んでからというもの、人々はこぞってこの疑似餌に夢中になってしまった。恐らく魚の数よりも人間の方が多く魅了されたのではなかろうか。知らんけど。兎にも角にもルアーで魚が釣れると楽しい。ただし、少しテクニックが要る、そうそう魚は騙されない。これはある程度定説だ。世の理である。しかし、釣りバカ2人の西表島釣行、初日は島の周りを囲む珊瑚礁でのライトリーフゲーム、2人の操るルアーに島の魚達は嘘のように騙され、ボコボコに釣られたのであった。いつも行っている西宮の海がドブのように感じられるほどの青く透き通った海。肌を焼く太陽。珊瑚礁の脇でルアーを泳がせると、大小様々、色とりどりの魚が次々と釣れた。ルアーとはかくも釣れるものであったのか。話が違う。自分の中でスイッチが入る音がした。

 

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 その後、マングローブでのトップウォーターフィッシング、初体験のジギング、GTフィッシング、全て首尾は上々であった。そこで気を良くした私はその後も数回この島に足を運ぶことになる。釣り人は欲深いのだ。そしてある意味魚よりも疑り深い。私としてはこんなに辛くない釣りがあってたまるかという謎の意地があったらしい。が、結果は毎回西表島の豊穣さに打ちのめされて帰ってくるというものだった。要は行く度にアホみたいに魚が釣れたのだ。島にも慣れてきた頃、試しにガイドなしで適当に浜から釣りをしてみても結果は同じだった。釣れた。本当に。いやはや。なんとまぁ。

 ここで終われば自分の釣り人人生はさぞや華やかであったに違いない。もしかしたら今頃津軽海峡でステラのバカでかいリールでクロマグロを釣っていたかもしれないし、沖縄に移住をしてハイサイ探偵団のポジションを喰っていたかもしれない。しかし、西表島へ釣りに行くのには唯一の欠点があった。お金がかかりすぎるのだ。当時は今と違いLCCが存在していない。また、安く旅行を仕立てるだけの旅スキルも自分に備わっていなかった。西表島には空港はなくその90%以上はジャングルに覆われているため必然的に島へ行く手段は船のみとなる。空路についても石垣島への直行便は存在するにはしていたが、どちらかというとリッチな移動手段であったため、那覇空港での乗り換えが必要であった。というわけで必然的に時間もかかる。時間がかかると泊数が多くなる。泊数が多くなると宿代がかさむ。一方この頃、タイミングが良いのか悪いのか、私は琵琶湖の魔物に取り憑かれつつあった。というか取り憑かれていた。道楽でロクマル釣ったる!と血気盛んであった。どちらかというと、いや、どちらかと言わずとも私の釣りのメインはバス釣りである。それもトップウォーターオンリーの。もちろんこちらの釣りにもお金がかかるのだ。当時は学生であったから時間は死ぬほどあった。しかし財布の事情は欠食児童であった。終戦直後である。バイトで稼いだお金はデニム、皮革、そしてルアーという木片の前に一瞬で消えていった。頑張っても年に数回しか行けない西表島、夢とロマンの琵琶湖バス釣り。軍配が上がったのは後者であった。その後、私は関西での大学生活を終え東京の大学院へと進学。そこから8年超の東京での暮らしが始まる。西表島のことは完全に忘れていたことはなかった。しかし、一人で行くほどの根性も経済的余裕もなかった。心の隙間を写真という趣味に侵食されていったこともあって、こうして西表島との距離はどんどんと離れていった。

 

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 2019年末。私は実家のある福島県郡山市へと居を移していた。郡山は確かに地元であることには変わりはないが、通算14,5年を県外で過ごしてきた自分にとってはかなりのアウェーだった。最後に”住んだ”のは高校生の頃の話だし、当然と言えば当然である。東京生活も末期の頃は時間を見つけては国内海外問わず色々なところへと出かけて行った。相変わらずお金はなかったし経済的余裕の欠片もなかったが、LCCなら大学生の頃とは比べ物にならないぐらい安く飛行機に乗れたし、安旅ライフハックも自分の中で蓄積されていった。郡山に越して数週間、というか数日、出会って数日で、のレベルで旅に出たくなった。11月末の東北の風は冷たかった。ふらっと香港に出かけて港式奶茶をすすりたかった。馴染みの粥屋で油条を浸して早餐したかった。街に出ても人がいない。それまで心の隙間を埋めてくれていたストリートスナップができない。まだコロナウイルス対岸の火事にも至らない小火レベルの話だった。が、成田羽田は遠かった。仕方がないから香港へ行く飛行機代より高い金を払って東京へ度々出かけ、写真を撮った。

 そんな折、大学の後輩、これまた釣りバカ、しかしこちらは家庭も仕事も盤石な真人間型釣り好き、がどこか遠征行きたい思ってまんねん先輩暇でっしゃろどっか行きませんか、などという話を持ちかけてきた。いや、そうだったか、良く覚えてないけどそんな感じだったと思う。相変わらず東北の冬は寒かった。身も心も財布も寒かった。とにかく暖かいところへ行きたかった。釣りができて暖かいところ…あ。

 こうして決まったのが今回の遠征であったが決まってからもこれまた大変だった。2020年に入り、本格的にコロナが大流行、県外移動禁止、海外渡航はもってのほか、経済大混乱、本当にとんでもない令和2年であった。また、旅行の時期も10月と遠かった。半年以上先の旅行の日程なんて今まで組んだことがなかった。旅行が決まると自分の場合とにかくそわそわする。頭のリソースの多くを来たるべき旅行に持っていかれるのだ。それは往々にして楽しいものであるがちょっと今回ばかりは期間が長すぎた。頭がおかしくなりそうだった。たしか旅行日程を立てたのは1月頃だった気がしたので都合10ヶ月そわそわしっぱなしであった。

 

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 と、言うわけで、である。壮大な前振りと悲喜こもごも様々な想いが詰まった旅行は物理的にも波乱の幕開けだった。ここ数年、私は山登りもやるようになっていた。釣り以上に登山の際には天候判断が重要となるから天気読みの能力はそれ以前と比べて多少レベルが上がっていた。旅行数週間前、当然天気図から天候を読もうと試みる。大敵は風である。冬の訪れ、八重山諸島では強烈な北風が吹く。また、10月下旬とは言え、位置的にはまだまだ台風からも気が抜けない。本土に到達しない台風でも八重山諸島の位置では影響を大いに受けることは多々ある。そんなこんなで高層天気図を眺める毎日であったが、いざ一週間前ぐらいになり何だかお世辞にも良いとは言えない予報が自分の中で出たのですぐさま天気予報はやめた。私は悪い占いは信じないタイプなのだ。それから数日後、12年前もお世話になったガイドさんから電話があった。曰く、風がヤバい。祈るような気持ちで風速予報サイトのwindyを見る。真っ赤を超えてゲロ紫である。やべぇ。

 当日、宿泊予定地である上原集落行きの船は早々に欠航が決まっていた。西表島には上原と大原という2つの主な港があり、石垣島からはそれぞれ船が出ているのだが、外海に面した上原は秋口頃から風の影響で欠航になることが多々あった。その場合は一度大原港へと渡り、そこからバスで上原へ移動するという手順を踏まなければならない。私は4泊5日、同行者は3泊4日の日程である。2日丸々釣りを楽しみたい場合、予備日として一日空けておいた方が何かと便利だし体力的にも楽だ。金はないが時間はある私は当然滞在日を長くとっていた。本来の予定であれば私の滞在3日目、同行者にとって2日目、から釣りが始まる予定だった。そうすると丸々2日の釣りが楽しめる。ハッピーだ。あとは天気次第である。事前のガイドさんとの相談では私の滞在3日目が一番強烈な風とのことで、その日を除外した予備日の一日を半日の釣行として予定を一日前倒しした方が良いのではという提案をされた。それでも石垣島から西表島へと渡る船中、内海にも関わらずざっぱんざっぱんと派手に揺れる中でも私は一縷の望みを捨てていなかった。どちらかというと天気運はいい方なのだ。しかしそんな希望も島に着いた瞬間消え去った。石垣港ではあまり実感できなかったが大原港では恐ろしいほどの強風が吹き荒れていた。その上太陽が見えない。超絶曇りだ。上原に到着する頃には日も落ちていたが西表島名物満点の星空はおろか月すら見つけられない。12年ぶりの西表島との再会。上陸の際に口をついて出た言葉は「これはアカンわ」だった。結局、日程をずらし、何とか1日半でも釣りをしよう、という結論に至ったのであった。

 「釣り人の時制に現在形はない」という至言を真っ向から否定して微笑んで迎えてくれたのは西表島だったが、肯定して横っ面を引っ叩いたのもまた西表島であった。先週までは良かったのだ…そして我々が帰る頃の天気は良いんだ…

 一時は釣り自体も危ぶまれるぐらいの荒天であったが、なんとか12年ぶりのライトリーフゲームの船は出してもらえることになった。が、リゾート地であったその海はベーリング海の如く荒れ狂っていた。気温は暖かいを通り越して暑いレベルだが気分はオヒョウ釣りである。だがどんなに波が高かろうが海がうねろうが所詮は水面でのお話。ここは最強西表島のリーフなのだ。水の中は関係ないのだ。しかし釣りを始めてしばらく経ってから感じた違和感は無情にも徐々に確信へと変わっていった。この感覚、何度も味わったこの感覚である。渋い。とてつもなく渋い。一応断っておくと、魚自体は釣れはした。が、おいおい西表島おめぇこんなもんじゃねーだろ、と海に向かって叫びたくなるぐらいの釣果だった。お情けで恵んで頂いた、という程度のものだった。お魚さん達、しばらく見ない間に随分とシャイになってしまったようだ。また、日程がずれた為単純に釣りをする時間も短くなった。いつもは飽きるぐらい魚を釣り、お昼を食べ、のんびりと鳩間島でお昼寝をするところが今回は気合の4時間一本勝負である。気が急いて仕方がない。海は荒れ、心は荒んだ。リールは壮大なバックラッシュをした。

 釣行二日目、マングローブフィッシング。西表島マングローブ群生地の北限らしい。石垣島沖縄本島にもマングローブ河川はあるにはあるが、どちらも開発が進み開かれているので川沿いにマングローブがところどころある、というイメージだ。対してここ西表島ではマングローブ林の中に川がある、という言い方がしっくりくる。ほぼ同じ面積の石垣島が5万人近い人口であることを考えると西表島がいかに人が住んでいないかが実感できるはずである。この島の面積の大半は圧倒的な自然が占めている。島を覆うジャングルの外縁の一部に人が住んでいるという島なのだ。二日目の天候は初日よりはマシだった。しかし風が吹き荒れると川から戻れなくなる。よって、天気を見ながら、荒天に怯えながら釣りをすることになった。そこそこ魚は釣れた。が、豊穣とは程遠かった。

 三日目。予報ではこの日が最も風が強くなる日であった。案の定船が出せないレベルの暴風であった。せっかくなのでレンタカーを借りて島を巡りながら釣りをする。本来なら、道中でカニの大群と遭遇したり、道路をせっせと歩いているセマルハコガメ(天然記念物)に感動したり、青空をバックに睨みをきかせるカンムリワシ(天然記念物)を目にすることができたのだろうけどこの日の天候ではそれも無理そうだった。とは言え、上手いこと風裏を探しながらの釣りは、そこそこ釣れた。豊穣の片鱗は見えた。最終日、朝一番、夜明け前に港で釣りをした。ここでも魚達はそこそこ元気だった。我々の心を慰めてくれた。

 

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 結局、自分は旅好きのようだった。元々は出不精なタイプである。旅行というのはとかく面倒くさい。それに観光地スタンプラリーみたいな旅行というのに今まであまり価値を見出だせなかった。ただ、写真をやるようになってから、旅先に行っても街を歩くだけで楽しい、その土地を単純に知りたい、できれば溶け込みたい、そう思いながらの旅行が板についていき実際狂ったように旅行に行きまくっていた。名物なんて食わなくてもいい。現地の人が食べて飲んで、そういったものを知りたい。できれば知らない土地で地図を見ずに歩けるようになりたい。

 旅のスタイルは人それぞれである。旅好きの友人の一人は世界遺産を全制覇するのが夢だと言っていた。素敵だと思う。彼にとってみれば、私のような同じ土地に何度も行く旅行者は理解できないだろう。でもそれはそれで良い。旅行に行くと色々と縁ができる。今回だって、初めて西表島に行った時たまたま選んで以来ずっとお世話になっていたガイドさんと久しぶりに再会できた。もちろん縁は人だけに限った話ではない。例えば香港。ちょっと早めなエスカレーター、信号の警告音、そういう「あー、戻ってきたな」と思える瞬間があった時、街との縁を実感でき旅ができて幸せだなと感じる。数年間を過ごした関西も、東京も、帰れる場所が増えるのは単純に嬉しい。

 結局、今回の旅は釣行という観点では失敗だった。期待外れだった。どんなにお世辞でも成功、大満足とは言い難い。でも、それでも西表島はなんだかんだで10年以上前とほとんど変わらない姿で私を出迎えてくれた。

 人によっては勿体ないと感じる人もいるだろう。でも結局、勿体ないという感情は、時間なりお金なりの損得勘定であって、よほど酷い目に合わない限りは勿体ない旅行なんて何一つない。アカジンも釣れた。ガーラも釣れた。マングローブジャックも釣れた。オオゴマダラも見ることができた。それで十分じゃないか。なんてことはない。また行く理由が一つ増えただけなんだ。結局のところ、日本の最西端だって一日で行けてしまうんだ。大した距離じゃない。もし土日の前後にお休みが取れさえすればいつだって行けるんだ。今はコロナのせいでおいそれと海外に行くことはできなくなってしまったけど、東南アジアだってたったの5,6時間飛べば行けてしまう。今の御時世安く済ませられる手段なんていくらでもある。その気になればどこへだって行ける。簡単なことだ。

 帰りの石垣空港でも天気は快晴とは言い難かった。でも飛行機が離陸して雲の上に出るとそこには青空が広がっていた。恨めしい気持ちを少し胸に抱きつつ、頭の中では次はいつにしようかと考える。

 地元に籠もるのも良いと思う。地元が一番、素晴らしいことだ。ただ、本当に、本当にありきたりな言い方だけれども世界は広い。日本ですら広い。視野狭窄に陥らない為にも一度外に出てそこで何かを感じられるとそれはそれはとても良い経験になると思う。

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 「若きの日に旅をせずば、老いての日に何をか語る。」

 気がつくとそこそこ歳を重ねてしまっていた。老いての日に語るあれこれを蓄えなければならない。

 近い内に、また。

 

 

西表島でずっとお世話になっているガイドさん。リーフからGT、インディーズトップウォーターマングローブフィッシングまで全対応。今回もお世話になりました。

www.oneocean.jp